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2007年8月23日 (木)

こんな言葉

 信頼は騙される覚悟があってできること

 信頼するということは、たとえ騙される結果になっても怨まないどころか、そうなってもなお信じ続けるということです。親鸞は師である法然の教えについて、ただ信じる、騙されて地獄に落ちようとも悔いはないという風な極端な表現をしております。これこそ究極の信頼でしょう。ちなみに、親鸞自身は新しい宗派を立てたという自覚がなく、あくまでも法然の弟子の一人というつもりであったようです。宗教というものはなにはともあれ信じるというのがその真髄ですから、これを逆手に取れば詐欺も泥棒も殺人も思いのままということになります。似非宗教、邪教が後を絶たぬ所以です。
 信用は担保があってできること。信用するということは信頼に比べればずっと根が浅く、担保の範囲において信じましょうという金貸しのような心境を言います。いくら献金すればかくかくの見返りがあるという似非宗教があるそうです。ずいぶん手軽で街頭金貸し(消費者金融とは笑わせる)みたいです。苦しいときの邪神頼みの危うさは、苦しいときの金貸し頼みと同じです。

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